2019年08月09日

誰のための学校建設か?


この町当別では、いま小中一貫学校建設が問題になっている。「問題になっている」と考えるのは一部の町民で大半の町民はあまり関心がないようだ。したがって議論は沸かない。60億円もの巨額予算(大部分が借金)をかける必要性がどこにあるのか。根本的な議論をそっちのけにして、建設することにまい進する地元役場・教育委員会。それに追従する議会。
昨年2月に、私は以下のような小文を「ゆめの種子(たね)通信」17号に書いたが、そのあたりから一貫教育はハード(新校舎建設)の問題に置き換わってゆく。そして今春には基本設計を策定し、6月議会では実施設計に入る予算が議決された。なぜそう拙速になるのか、町民には形だけの説明会でお茶を濁し、議会でこの問題に疑問が呈されると「後戻りはしない」と豪語する行政トップ。借金と高齢者だけが残されるような、この町はどうなるのか。

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「村を育てる学力」がつくのか?〜この町の小中一貫教育を考える

正月3日の北海道新聞朝刊に掲載された「新春対談」。2ページにわたって劇作家の平田オリザさんと文芸評論家の斎藤美奈子さんは、「ことばとコミュニケーション」「教育システムの功罪」などをめぐり、あつく語っている。

このなかで私の興味をひいたのは、平田さんが紹介していた東井義雄(とうい・よしお、1912-1991)という教育実践者の存在だった。平田さんは東井の実践を、いまに置き換えてこんな発言をする。
「(東井は)昭和30年代にすでに「村を捨てる学力、村を育てる学力」と言っています。一生懸命勉強させて優秀な子ほど東京や大阪に出て行く、これでは「村を捨てる学力」で、もっと共同体の力を付ける「村を育てる学力」に切り替えるべきじゃないか、と。僕も今の文部科学省のグローバル教育は「国を捨てる学力」だと思う。優秀な子ほど外に出て行く」。
六〇年も前の教育実践が、現代社会にも新鮮にひびいて来るのである。

「村を捨てる学力」「村を育てる学力」って具体的にどういうことなのか、もっと知りたくて『東井義雄著作集』1(明治図書出版、1972)を道立図書館から借りだして読んでみた。

東井義雄は、学力とはどこへいっても通用する普遍妥当なものであるべきだが、子どもたちの「生活」を通さないと本当の学力にはならない、という。「よく感じ、よく思い、よく考え、自分の考えによって行動していける、たくましい行動的ないのちを育てたいと思った。そして誰かのかけ声にひきまわされて生きるのではなくて、自分たちの手をつかい、身体をつかい、頭をつかって、自分の身のまわりを、自分の気にいるようにつくりかえていくことによって、自分で自分のしあわせを創りあげていくように導こうと考えた」(『著作集』解題)。どうやったら「村を育てる学力」により自立した人間が形成されるのか、これが東井の教育実践の真髄なのだろう。

ここで、当別町において今まさに進められている小中一貫教育を考えてみたい。
「平成29年度は小中一貫教育元年」と謳った教育委員会のリーフレットが公表されている。それによると、期待される教育効果として「確かな学力の育成」「教員の指導力向上」「地域とともにある学校」「小中学校の段差の解消」を上げている。がしかし、そういったことが一貫教育という新たな教育スタイルでなければ実現できないのだろうか、今ある教育体制ではできないのだろうかと、まず考えるのがフツーではないか。
リーフレットでは当面は現校舎体制での小中学校「連携型」での一貫教育を推進し、近い将来には、統合校舎を建設しての「一体型」の一貫教育が予定されているようである。

当別中学校の老朽化がいわれていることから、具体化が迫られてもいるのであろうが、ハード面での整備が必須となっていくようである。少子高齢化の進行する中でこれまで真剣に、当別において「目指すべき教育」とはどういった内容のことなのかを時間をかけて議論してきたのだろうか。まずそこが大きな疑問である。

一貫教育のメリットばかりを強調する傾向は、それを推進したいという人たちの発言である。疑問なのは、将来そこで日々実践することになる教師たちは、いま現在、このマチの一貫教育をどのように捉えているのかがまったく町民には聞こえてこないのである。きっと日常の膨大な業務を抱えつつ、さらに一貫教育がのしかかってきているのではないかと思慮するのだ。

大都市・札幌とそれを取り巻く江別、石狩といった中都市に隣接した当別は、何かにつけて便利なマチではある。通勤通学や買い物を考えると比較的楽だし、自然も豊かで空気もうまい、そういったことで当別は暮らしやすいマチの部類だと思う。だがこれだけの要素を備えているのに、人口がじりじりと減少しているのを食い止められないのはどうしてなのか。

一面的かも知れないが、今の(過去もそうだったかもしれないが)当別は、都市に「人材を供給するだけ」のマチになっているのではないだろうか。高等教育を受けるためにこの町を出て行く人も多くいるだろう。こういった人の中で、いずれは社会人として戻ってきて、再度この土地に生活の根を下ろすという人も居なくはないが極めて限られていると思われる。

「一生懸命勉強させて優秀な子ほど東京や大阪に出て行く、これでは「村を捨てる学力」」でしかない、という冒頭の平田さんの引用する東井義雄の考えをかみしめてみる必要があるのではないか。そして「村を育てる学力」は、今と将来の当別にとってなくてはならないコンセプトなのである。それは「小中一貫教育」や「一貫学校建設」という膨大なエネルギーを費やす必要もなく実現できることなのである。
posted by yagi at 22:37| Comment(0) | つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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